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銃・病原菌・鉄の6章「農耕を始めた人と始めなかった人」を読んだ感想とまとめ

「銃・病原菌・鉄」の6章を読んだまとめや感想を書いていきます。

 ↓この本。

文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)

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6章では、人類が狩猟採集生活を辞めて食料生産を始めたその理由について深掘りをしています。

また、なぜ食料生産を始めない人々がいたのか?という点も同時に掘り下げています。

 

それでは以下まとめです。

 

 

狩猟民族と農耕民族のイメージ

狩猟採集民と農耕民に対するいくつかの一般的なイメージと事実のギャップについて書かれています。

食料生産者が快適な生活を送っていたとは限らない

現在、世界中の農民の大半は貧しい生活を送っている。

場合によっては狩猟民族よりも長い時間を食料生産の為の労働に費やしている。

との事です。

日本のような先進国では、「農家は貧しい」というイメージはあまりありません。

しかし世界的に見れば、年収が10万円という農家も多いのが実態です。

農民の収入について参考になりそうな記事をいくつか見たのでリンクを貼らせて頂きます。

↓貧しい方の参考。

最近の中国の農民 豊かな農村と貧困農村の格差

日本と中国の農民、収入差は43倍・・・中国メディアの紹介に、中国ネット民が放った強烈な一撃とは?-サーチナ

↓豊かな方の参考。

農家(専業農家・兼業農家)の年収は456万円!!作物別収入ランキングや年齢別年収推移など徹底解説!|平均年収.jp

 

移動する民が狩猟採集をしているとは限らない。

自然の恵みが豊かな土地では、定住生活を送りながら狩猟採集を続ける事ができた。

北アメリカの太平洋岸北西部、オーストラリア南西部、パレスチナ、ペルー沿岸、日本などの地域がそれにあたる。

 

逆に移動生活をしながら食糧生産を行っていた人々も居た。

畑を作り、狩猟生活をしながら畑の手入れや収穫の為に定期的に畑に戻ってくるなど。

ニューギニアの湖平野、アメリカ南西部のアパッチ・インディアン、アフリカやアジアの遊牧民がそれにあたる。

 

農耕民だけが土地を管理しているとは限らない

 狩猟採集民族でも、畑を作るまで至らずとも植物が育ちやすいように雑草を取り除いたりする事はあった。

食用植物が育ちやすいように土地に火を放ったり、自生している芋を採集して茎の部分を土に埋め戻す人々も居た。

 

このようにして、狩猟採集民族は徐々に食料生産の技術を身につけていったと考えられています。

 

労力が少なく、安定した食料確保の手段

 人類は歴史の中で、より労力が少なく、かつ安定した食料の確保の手段を求めてきた。

狩猟採集をしながら食料生産を始めたのは、食糧確保手段を複数確保する事で、一方の手段で食料確保が難しくなった場合の保険の為かもしれません。

資産を分散させリスクを抑える為に、株と国債等複数の投資をする事と同じ考え方です。

自然の恵みが豊富な時期には狩猟採集生活でも安定して大量の食糧を確保できていたが、自然の恵みが減るにつれて食料の確保が安定しなくなってきた。

この為に人は様々な方法で食料を確保する手段を講じ始めたと考えられています。

農耕は狩猟採集と違って食料の確保に時間がかかりますが、自分たちで生産の量をコントロールしやすかったはずです。

 

文化による食料確保の動機

文化や風習によっては、食糧の確保は単に生きる為ではなく、部族の間で地位を築く為の手段にもなっていた。

大きな獲物を持ち帰れば英雄になれるというわけだ。

農耕によって安定して食料を確保できるという事実があったとしても、狩猟採集民の中には農耕民を軽蔑するといった価値観がある事もあった。

このような文化的背景も食料生産の広がりに影響した。

 

 

地域別、農耕を始めた経緯

南東ヨーロッパ

紀元前6000年頃、東西アジアから伝わった方法をそのまま取り入れた。

 

南フランス、スペイン、イタリアなどの南西ヨーロッパ

羊が伝えられてから穀物が伝わった事もあり、食糧の生産はゆっくり広まった。

 

日本

海洋生物や土着の植物が豊富だった為、狩猟採集の生産性が非常に高かった。

この為、食料生産はアジア大陸からゆっくりと時間をかけて取り入れられた。

 

アメリカ東部のインディアン

紀元前2500年頃に土着の野生種を栽培し始め、更にその後、メキシコから取り入れたより生産性の高い農法と作物に入れ替えていった。

 

スウェーデン南部

紀元前3000年頃に南西アジアの作物を育てる農耕をいったん身につけて、紀元前2700年頃には狩猟採集民に戻り、その400年後に農耕を再開している。

 

 

食料生産への移行をうながした要因

要因1.動物の絶滅による狩猟の生産性の低下

人類が新しい土地に進出すると、動物を狩りつくして絶滅させてしまうケースがあります。

そのケースを地域別にまとめます。

ポリネシアからニュージーランドに渡った初期の移住民

モア鳥の絶滅、アザラシの減少、その他の鳥を減少させた後、食料生産を始める。

 

西暦500年頃にイースター島に移り住んだポリネシア人

野鳥やネズミイルカを減少させた後、鶏の飼育を始める。

 

メソポタミアの肥沃三日月地帯の狩猟採集民。

野生のガゼルが減少した後に野生動物の家畜化を始める。

 

要因2.栽培可能な野生種の増加

野生動物の減少と同時に、栽培可能な野生種が増えたことも農耕を促した要因と考えられています。

これには気候の変動が関わっています。

更新期と呼ばれる時代、ほとんどが氷河時代でしたが、その終わり頃には徐々に地球の気温が上がり始め、作物が育ちやすくなっています。

 

要因3.食料生産技術の発達

植物を栽培するだけではなく、大量の農作物を効率的に収穫する技術や、保存、加工する技術が蓄積するにしたがって、食糧生産の規模が拡大していったと考えられます。

 

要因4.人口密度の増加

食料生産を始める事で徐々に人口密度は上がり、人はさらに効率的に食料を生産する必要に駆られた。

人口密度の増加と食料生産の推進は双方向的に関係し合い、食料生産を加速させていった。

ちなみに、農耕民の人口は増加していったものの、食糧生産の量はすぐにはそれに追いつくことが出来ず、農耕民族の栄養状態は狩猟採取民のそれよりも悪かったとされています。

自己触媒 

人口の増加と農耕の発展は「自己触媒作用」になぞらえられる事があるとの事。

自己触媒とは、科学反応等において、生成物その物が反応の速度を速める作用の事を言います。

農耕の発展においては、生産した食料や発展した農耕技術が人口を増やし、増えた人々によって更に農耕が発展していく様子が自己触媒的と言えます。

 

要因5.農耕民の人口が増えた事で狩猟民族を追い払う事ができた

食料生産に適した地域の支配権を狩猟民族と農耕民族が争った場合、数で勝る農耕民族が圧倒的に有利だった。

狩猟民族が生き残る為には自分たちも農耕を始めるか、農耕民族に支配されるしか道が残されていなかった。

日本のように、他地域からの侵略から免れ、自分たちで農耕を発展させる時間的猶予があった場合のみ、農耕民族として生き延びる事ができたというお話し。

 

以上、6章のざっくりまとめでした。

 

5章までのまとめ、感想はこちら。 

 

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歴史の大きな流れを追う本なので、人の名前を沢山覚えたりしなくて良いぶん、歴史に疎い人にも読みやすいかもしれません。

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今回は以上です。

またよろしくお願いいたします。